沖縄の食文化と豚の歴史Story
沖縄に根付く伝統的な琉球料理は
「豚にはじまり豚に終わる」
沖縄の食文化において「豚」との歴史は古く、沖縄の72,000年~4,400年程前の遺跡から、人が飼育したリュウキュウイノシシではないイノシシ属の骨が出土され、約2,000年前の弥生時代後期ごろの遺跡からは豚の骨も出土し、その時代から豚を家畜していたとされています。
また、琉球在来黒豚アグーの原種は1385年頃に中国から琉球に運ばれてきた豚がルーツではないかとも言われています。
その長い歴史の中で、昭和初期までの沖縄では島豚(沖縄方言:シマウヮー)、すなわちアグー豚が主で、全国一の養豚王国を誇っていた。
琉球料理は「豚にはじまり豚で終わる」といわれるほど豚は切っても切れない関係性にあり、沖縄の人々は先人の知恵が詰まった豚肉の食文化を今日まで脈々と受け継いできました。
琉球在来黒豚アグーの軌跡
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琉球在来黒豚アグーの起源
1385年頃、当時は航海の際の食料のひとつとして豚も船に積まれており、中国との交易を介した中で琉球に持ち込まれたものが琉球在来黒豚アグーの原種ではないかと伝えられている。
近年では、伊江島にある弥生時代後期の貝塚、具志原貝塚で豚の骨が発見されたが、これは14世紀以前から琉球では豚が飼育されていたことを物語っており、琉球・沖縄の豚との関わりは2000年近いことになる。
しかし、どちらが琉球在来黒豚アグーとして現代まで残っているかについてはわかっていない。また、琉球在来黒豚「アグー」の名称については文献などが残っていないため定かではないが、沖縄県粟国(あぐに)島由来説というものがある。
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琉球在来黒豚アグーの絶滅
琉球王朝時代から戦前まで当たり前のように飼育され、食されていた琉球在来黒豚アグーだったが、第二次世界大戦禍には頭数が減少。
戦後になると、小型で産子数が少なく、発育の遅い琉球在来黒豚アグーは経済的に不利なことから飼育されなくなり頭数がさらに激減していった。戦後、物資食料の乏しくなった沖縄を援助すべくハワイの沖縄県人会が350匹の白豚を沖縄に送ってくれたことにより沖縄の養豚は劇的に変化していくこととなる。
この西洋種の白豚(バークシャー種)は品種改良が進み、赤肉の多さ、出産数の多さ、発育の早さなどで琉球在来黒豚アグーよりも勝っていたことで養豚農家は皆、喜んで白豚を飼育しはじめたのだった。その結果、いつの間にか琉球在来黒豚アグーは養豚農家の豚舎から姿を消し絶滅の危機に瀕していました。
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琉球在来黒豚アグー復活への道
1981年に当時、名護博物館の館長の島袋正敏氏が琉球在来黒豚アグーの現状を調べたところ、県内にわずか18頭しか残っていないことが判明。そのことをキッカケに沖縄県北部農林高等学校(名護市)の先生や生徒、沖縄県畜産試験場との連携協力のもと、戻し交配法を用いた琉球在来黒豚アグー復活への道を歩みはじめた。
多くの時間を費やし、何度も何度も戻し交配を繰り返していった結果、1995年、琉球在来黒豚アグーの純血に限りなく近い黒い豚が蘇ったのである。
2000年には県立北部農林高校や、今帰仁村内にある沖縄県畜産試験場などの専門機関の連携により「琉球在来豚アグー保存会」が発足し、在来種保存に向けての機運が高まった。
ようやく復活し、これからさらに商品開発が進んでいく琉球在来黒豚アグー。
今でも頭数が少なく、毎日の食卓に並ぶほど大量に生産・出荷はできていませんが、沖縄を訪れた際には栄養価が高く、バランスの取れた琉球在来黒豚アグーを、ぜひ食してみてください。